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写真家 板垣真理子 の楽しい 日記 です


by afrimari
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ジレンマ 9月1日

私の、ではなく

「日本のジレンマ」という深夜の番組。

昨晩、偶然、初めて見たけど面白かった。
資本主義経済が前提となっているこの日本の中で、

どうそれと付き合いながら自分の生きるすべを持つか
というようなテーマ、だったと思う、というのも途中から見たから。

「シェア」という概念、シェア・ハウスだけではなく、なにかを分かつことについて

企業のあり方、以前のように、より大きく、より儲かることを目指す会社ではなく・・・とか、「好きな人とだけ仕事したいし」とか、

ただ一人の起業家さんを除いてほとんどのコメンテーターは、それまでのやり方で「儲けて生きる」という概念からは抜け出したいと思っている

ただ、この社会のシステムはそうそう簡単には変わっていかないので、その中でいかに自分の「やり方」を通していくか、こう書くとずいぶん当たり前だな、

面白く書こうとするとおそろしい長さになりそうなので、やめておきます。

ただ、いくつかのこと、オーバーに言えば、ほとんどのことが、今まで私がやってきたやり方だったり、「こうありたい」と思ってきたことを踏襲していたりする。じゃ、私が社会の空気を先取りしていたのか、と聞かれれば「たぶん、そう」と答えてしまうだろう。
かなり馬鹿笑いしてしまったのは「ノマド」として生きたい、という若者が増えていて・・・という発言。私も同感だったりその気持ちはわかるけど、今の人たちがそう言う時の「ノマド」とは、会社へ行かずに、単に自由にパソコンに向かえるスペースで仕事をすること、みたいになっちゃってたり。「それではノマド、という言葉をつくった人も泣いているでしょう」と言っていた、笑

あと一つは、「一応会社に勤めてから、辞めてフリーター、もしくはフリーランスになる」という発言、笑った、なぜなら私がそうだったから、理由は・・・長~く、なるのでやめときます。ここに参加していたコメンテーターさんたちも、フリーランスの人もいれば(その人も一度は大会社に勤めている)、やはり企業の中の一員でもあったりする。中には週3日、企業に勤めている人もいた。

この中では、やはりフリーランスの人の感覚が私に一番近い。それとこの人、「ブロガー」らしいです・・・イケダ ナオト、だったかな? お名前。この人の素晴らしいところは、他者への視線。「今、ここにこうして集っている私たちは、すでにある意味、高みに上がってしまった、変な言い方だけど、でも世の中の八割近い人たちはそうではない。その人たちの生活のあり方をどう考えていくか。つまり、ここに短く書くのは大変なんだけど、こぼれてしまう人たちの生き方をどう包摂できる社会にするか、という発言だったのね。素晴らしい、と思う。もう少し噛み砕けば、「人と同じ量の仕事をしたくない、少なくてもいい、とか少なくしか働けない」とか、そういうひとだっているはず、という視線。いいですね、同感です。

ごく最近、もし私が起業するならば、ということで、人と話したことがあった。その人にはこどもがいて、そんなに長い時間働けないのなら、自己申請でフルタイムの給料を返す、というシステムはいかがですか? と言ったら、その人はとても満足して安心してくれた。そういうことなんですよね。もちろんすべてがこういう風に公平に平和にはいかないと思うけど。

それと、心惹かれたのは、意外にも、唯一の企業家として参加していた人。この人のなにがよかったのかなぁ、一言で言うと、「目」。いい目してたな、好きでした。生き方は、私とは違うけど、「何かを掴んだ人の表情」してましたね。一度はどん底で、日に五百万の借金が増えていく経験をしたようです。でも今は、100人ほどを抱える企業で・・・でも今の日本の社会ではまだこういうものが存続していないと実際の経済は動いていかないはず。この人はその歯車、って言ったらよくないけど、そういうもののひとつの役割を自ら果たそうとしている。でも昨晩の討論の中に出てきた、いろいろなものがこの人のヒントにもなっているはず。より現代的で、これからの欲求や要求にそぐっていく企業、というものもできるのでは、と思った。

テーマの一つに「なぜ、企業に勤めながらで副業してはいけないのか」という質問。これも、私のアイデアとして前書した人と、話し、私が起業するなら「フリーランスの集まり、のようなもの。会社の仕事は仕事としてやっても、副業はしっかりやってもぜんぜんかまわないんじゃない?」と答えたら、以前大企業に勤めた経験のあるこの人の頭の中では、せわしなく、いろいろなことが新アイデアとしてくるくると回っているかのようでした。

もう一つは、少し前までは「キャラ立ち」だったけど、今は「キャラ・チェン・・・キャラ変わりのこと」(言葉ただしいか忘れた)、というのが面白かったし、笑ったし、今の私だ、とも思えた。唯一のキャラをもって行動し、仕事をする、というのではなく、いろいろなシーンで、シーンによって変化していく自分。

つまり、以前から、私が目指してきた生き方、やり方、と、今の私が目指しているもの、とほとんどシンクロしている内容だった、ということ。

内容の濃い、面白い番組でした。

一言、付け加えるなら、集まっていたのは、1985年以降に生まれた人たち。自分たちの世代だから、こんな風に考えられるのだ、という若者らしい「世代意識」を持っていたようでしたが、いかんせん、ずっと年上の私にとって、ぴったりきますよ、今やっと、やってきたくれたのね、と思えました。
人はいろいろ、なんです。必ずしも、世代では分けられない、ということももっと心の奥深くに刻まれるときがあるといいね。

ただ、この人たちの世代に関して言えるのは、小学校の時に「山一證券」がつぶれ、もう少し後に、リーマンショックが来て・・・今までの価値観ではもう生きていけない、と悟った世代、と言われていました。

でもはっきし言って、石油ショックも、異常なバブルが弾けるのを目撃もし、ほぼ信仰と化していた「右肩あがり」がそうではないと、身をもって知ったわたしたちだって、大差ない、はずです・・・「世の中をどう感じるか」
そのアイデアだけですね。

そんな中で好感を持てる人物、というのは「愛」を感じる人でした。
そういう意味で、フリーランス・ブロガーの君と、企業家の彼、にはなにかを感じてしまったんです、私。他の人たちだって、意見や考え方は面白かった。たぶん、愛だってある。しかし、ああいう場は、「自分たちの身内だけが集まってしゃべくる会」ではなくテレビの前で発言する、つまりは同席する人たちがどんな立場に置かれ、どういう風向きが吹いているか、も感知できなければまだ一人前とは言えないと思うのです、って、偉そうだけど、これはなかなか難しい。ここにもやはり人間関係の縮図がありました。ブロガーのイケダさんはずは抜けてましたね。ただ、一度、ちょっと甘い考え方を夢として語ってしまい、他の発言者から厳しく反論されていました。この社会学者さんも意見としては面白かったし、さすがに社会はちゃんと見えていた。

最後に思ったのは、「資本主義経済の中で」どう生きるか、がテーマだったから、当然といえば当然ですが、「お金」の存在は大前提になっていましたね。
それをもっと切る人がいてくれてもよかったな、とも思いました。
だって、もう50年以上前に革命を起こしてくれたゲバラが貨幣経済そのものに疑問を呈していたのですから。

きっと「シェア」という感覚、とか、生きている中で間接的にそういうものにアプローチしたい、と思っている人はいたはず。ただし、今の世の中でそれをやりすぎたら、下手をすると破産、とか、路頭に迷う、とかいうことにもなりかねず、そうそうやすやすとはできませんけどね。考えるだけは考えてよいと思う。小さなコミュニティでやっちゃってる人はいる。でもコミュニティて、私は恐いです、笑

てな、ことを考えていると、時々、沖縄のどこか旧めかしい、でもなんかやさしい人間関係とか、社会とかが、ちらちら顔を覗かせたりもするのでした。その中にどっぷりと入っていない私はなぁ~んにもいえませんけど。

明日は、私の住む「部落」、って沖縄では言うんですわ、「諸志」の盆踊りです。
by afrimari | 2012-09-02 14:44