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写真家 板垣真理子 の楽しい 日記 です


by afrimari
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カティンの森 アンジェイ・ワイダ 2009年11月06日

試写です。

この映画はワイダ監督が自らの両親に捧げている。
ドイツとソ連に引き裂かれたポーランド。長い間タブーとされていたカティンの森事件。

ワイダ監督の父親は、1940年カティンの森で秘密裡に行われたポーランド将校15000人の虐殺事件で亡くなっている。ソ連は自らの犯行をドイツのものとし、ドイツはソ連の犯行であると反撃した。ポーランドでは戦後になっても、ソ連衛星国であるためこの事件の真相を追究することも語ることも許されなかった。

年表を見ると愕然とする。
1945年 ナチス・ドイツ無条件降伏
1976年 ロンドンにカティン記念碑が建てられ「犯人はソ連」と記される
1981年 連帯革命のさなか、ワルシャワにポーランド最初のカティンの森記念碑が立てられるが、その夜のうちに何者かがクレーンを用いて撤去
1982年 ソ連がカティンの森に建てた記念碑に「カティンの地に眠る、ヒトラーのファシズムの犠牲者・ポーランド兵のために」と記される
1986年 カトリック団体がカティンに木製の十字架を建てたが、虐殺の日付を刻むことは許されない
1990年 ゴルバチョフソ連大統領が自国の犯行と認めポーランドに謝罪
1991年 発掘調査が行われる

ごくごくごく、最近の歴史なのでした。
ワイダ監督、積年の思いの実現した作品と。1950年代半ばに事の真相を知った監督は、自ら映画化を熱望していたが、冷戦下にタブーとされていたため、描くことも語ることも禁じられていた。

「カテインの森事件」が、映画化されたのはこれが世界で初。
私もこの映画で初めて、こんな最近にまで繋がっていた事件と知りました。
父君のファースト・ネームが間違って記載されていたため、ワイダ監督の母親は、亡くなるまで夫の帰りを待っていたという。

こうして書くと、ひたすら重々しくとっつきわるいものに思われるかもしれませんが、人々の描き方がワイダ監督らしくエレガントなので、けっして耐え難い作品ではありません。起こった事実は耐え難いものであることは確かですが。
パンフにも「この映画の主役は女性です。さまざまな思いを抱えて、夫や父親や息子の帰還を待ちわびる・・・」と書かれているように。

映画を観ながら、優しさ、勇気を持つことの難しさ、毅然と生きること、などを深く思い知らされる。

これは、戦時下、もしくは被占領下という特殊な状況のことだけではなく、私たちの日常にも生きている、と私は思う。

簡単に噂に乗せられる人、それを信じているふりをして大勢についているほうが楽な人、真相を究明することを避け、安逸な道を選択したい人。自らに厳しく、これは時に、厳しく=美しい、にもなると思うのだけど、生きるのは意志を持たなければ。

少なくとも、人を陥れたくはないよ。そんなことまで考えてしまった。
人が生きる世界。その中で少しでも美しく生きることを意識したい、とひしひし思うのです。

12 月15日より、神保町岩波ホールにて、新春ロードショー
by afrimari | 2009-11-06 17:31