梅津和時さん還暦祝いライブ ! と 緑ショック !
2009年 10月 17日
今日もまた、日記をふたつまとめてアップしました。いっこ前のも読んでくださいね。
渋谷DUOで梅津さん還暦祝いライブ。ずいぶん前から計画されていて、私も有難いことに「オフィシャル・フォトグラファー指名」をいただいていた。張り切らずにどうする? !
梅津さんとお知り合いになったのはほぼ20数年前になるはず。
打ち上げの時に「ピアソラのライブの時に会ったんだよ」と言われて、この方の記憶力に驚く。
ステージ上には、今まで梅津さんが共演してこられた数々の名プレーヤー ! 敬称略、仙波清彦、巻上公一、片山広明、太田恵資、白石かずこ、おおたか静流、鬼怒無月、スカパラのお兄様方、RCの・・・これ以上は詳しくは書くまい? 皆さんご存知のはず。そして、唯一「いるはずだったのに」のその人。チャボさんが歌う。
「きのう、車の中で~」始まったら、キちゃいました、私。
梅津さんのあまりにも素直な表情、チャボのいったい何回この気持ちを乗り越えてきたのか、抑えた顔、を見ていたら、私までぐっときちゃって、ダメ。久しぶりに泣きながら写真撮った。
かと思えば、仙波さんのたまんなく楽しいパーフォーマンス。「あ、こんな所に梅津さんが」それ、ぬいぐるみでしょ? げらげら声あげて笑っちゃった・・・・
つまり素晴らしいライブだったんです。出てくる音も一流なら、そこに込められた気持ちも。この人たちが集まって梅津さんを祝って、素晴らしくならなくてどうする? ! このライブは、もう梅津さんの歴史なんです。
梅津さん、そしてそれを支える、共に演奏を楽しむ人たち、これからもずっと元気で楽しくいてください。私も幸せでした、この日 !
打ち上げ会場へ移動しようとしたら、なんと、トランペットの近藤敏則さん !私も恐ろしいほどの久々だったけど、なんと梅津さん、初のトリオが近藤さんだったという。
この日にこうして偶然が重なって会うなんて ! びっくりです。梅津さんが23歳のときだったというから、私も知るはずもなく・・・
打ち上げが夜11時からだったので、ぎりぎり帰れる時間までいて、オイトマ。
楽しさでぼぉっとなった一日でした。
昼間のリハからのずっとお付き合いで、しかも強烈撮りにくい高さのステージで中腰、立ち膝痛っ ! 状態が続いていたから体はへろへろなんだけど気持ちが起きちゃってるから明け方に眠れて・・・
たら、かなり朝早くから、がぁ~っ、の、ごぉ~っ、の・・・いったい何?
シャッター開けて、この目を疑いました。
あの、私の大好きだった、このせいでここに住ことにした、窓の前の盛大な緑の林がごっそり無い、無いのです。
まるで、私専用みたいだった、白梅の古木、毎年花を咲かせてまだ肌寒い季節を豊かにしてくれていた、あの木も、蝉が鳴きしきった数々の高い梢も、目には見えないけど、秋の虫を盛んに鳴かせていたはずの草むらもすべて・・・木漏れ日をうけてきらきら輝いていたあの林、森がなくなっていました。
そういえば夕べ帰ってきたときポストに工事始まりますの紙が入っていた。しかし、前日じゃあまりに突然でしょ? どの木にもお別れすることなく、地面に置かれた材木のようになっていました。ブルドーザーがごぉごぉ、チェーンソーがキィ~ンと響いていて、かなり辛いです。
緑が消えたことが辛いのか、騒音が嫌なのか、ついにはここにも何かが建つわけで、そんな目の前になにかが建つなら越すしかないのが苦痛なのか、自分でもうまく整理がつきません。
やはりなにより、昨晩まで生きていたはずの木々がごっそり、というショックなのかも。
でも私たちがこうして住んでいる都市も、この家が建っているこの場所もかつては緑の木々の生きていた場所のはずで、それがこうして目の前で起きたことを目撃してしまった、ということなのだ、とあらためて思いもしました。
ふぅ~、それにしてもやっぱりまだだめです。
今は近くのファミレスに来て、梅津さんのライブ写真の整理と、この日記書きをしています。
いろいろなものが移ろって、いろいろなものが変化していきます。
それもこれも、いたし方ないことは、どうしようもないのでしょう。その一方で大切にしたいものは、本当に大切にしたいと思った今日の秋の日でもありました・・・ぐすん
今日17日は、梅津さんの本当のお誕生日のはずです。
家の帰ったら帰ったらメールお送りしよう。
梅津さん本当におめでとうございます。
すてきなライブをありがとうございました ! !
渋谷DUOで梅津さん還暦祝いライブ。ずいぶん前から計画されていて、私も有難いことに「オフィシャル・フォトグラファー指名」をいただいていた。張り切らずにどうする? !
梅津さんとお知り合いになったのはほぼ20数年前になるはず。
打ち上げの時に「ピアソラのライブの時に会ったんだよ」と言われて、この方の記憶力に驚く。
ステージ上には、今まで梅津さんが共演してこられた数々の名プレーヤー ! 敬称略、仙波清彦、巻上公一、片山広明、太田恵資、白石かずこ、おおたか静流、鬼怒無月、スカパラのお兄様方、RCの・・・これ以上は詳しくは書くまい? 皆さんご存知のはず。そして、唯一「いるはずだったのに」のその人。チャボさんが歌う。
「きのう、車の中で~」始まったら、キちゃいました、私。
梅津さんのあまりにも素直な表情、チャボのいったい何回この気持ちを乗り越えてきたのか、抑えた顔、を見ていたら、私までぐっときちゃって、ダメ。久しぶりに泣きながら写真撮った。
かと思えば、仙波さんのたまんなく楽しいパーフォーマンス。「あ、こんな所に梅津さんが」それ、ぬいぐるみでしょ? げらげら声あげて笑っちゃった・・・・
つまり素晴らしいライブだったんです。出てくる音も一流なら、そこに込められた気持ちも。この人たちが集まって梅津さんを祝って、素晴らしくならなくてどうする? ! このライブは、もう梅津さんの歴史なんです。
梅津さん、そしてそれを支える、共に演奏を楽しむ人たち、これからもずっと元気で楽しくいてください。私も幸せでした、この日 !
打ち上げ会場へ移動しようとしたら、なんと、トランペットの近藤敏則さん !私も恐ろしいほどの久々だったけど、なんと梅津さん、初のトリオが近藤さんだったという。
この日にこうして偶然が重なって会うなんて ! びっくりです。梅津さんが23歳のときだったというから、私も知るはずもなく・・・
打ち上げが夜11時からだったので、ぎりぎり帰れる時間までいて、オイトマ。
楽しさでぼぉっとなった一日でした。
昼間のリハからのずっとお付き合いで、しかも強烈撮りにくい高さのステージで中腰、立ち膝痛っ ! 状態が続いていたから体はへろへろなんだけど気持ちが起きちゃってるから明け方に眠れて・・・
たら、かなり朝早くから、がぁ~っ、の、ごぉ~っ、の・・・いったい何?
シャッター開けて、この目を疑いました。
あの、私の大好きだった、このせいでここに住ことにした、窓の前の盛大な緑の林がごっそり無い、無いのです。
まるで、私専用みたいだった、白梅の古木、毎年花を咲かせてまだ肌寒い季節を豊かにしてくれていた、あの木も、蝉が鳴きしきった数々の高い梢も、目には見えないけど、秋の虫を盛んに鳴かせていたはずの草むらもすべて・・・木漏れ日をうけてきらきら輝いていたあの林、森がなくなっていました。
そういえば夕べ帰ってきたときポストに工事始まりますの紙が入っていた。しかし、前日じゃあまりに突然でしょ? どの木にもお別れすることなく、地面に置かれた材木のようになっていました。ブルドーザーがごぉごぉ、チェーンソーがキィ~ンと響いていて、かなり辛いです。
緑が消えたことが辛いのか、騒音が嫌なのか、ついにはここにも何かが建つわけで、そんな目の前になにかが建つなら越すしかないのが苦痛なのか、自分でもうまく整理がつきません。
やはりなにより、昨晩まで生きていたはずの木々がごっそり、というショックなのかも。
でも私たちがこうして住んでいる都市も、この家が建っているこの場所もかつては緑の木々の生きていた場所のはずで、それがこうして目の前で起きたことを目撃してしまった、ということなのだ、とあらためて思いもしました。
ふぅ~、それにしてもやっぱりまだだめです。
今は近くのファミレスに来て、梅津さんのライブ写真の整理と、この日記書きをしています。
いろいろなものが移ろって、いろいろなものが変化していきます。
それもこれも、いたし方ないことは、どうしようもないのでしょう。その一方で大切にしたいものは、本当に大切にしたいと思った今日の秋の日でもありました・・・ぐすん
今日17日は、梅津さんの本当のお誕生日のはずです。
家の帰ったら帰ったらメールお送りしよう。
梅津さん本当におめでとうございます。
すてきなライブをありがとうございました ! !
by afrimari
| 2009-10-17 19:25